私は孔雀、神聖な意識で見た私の姿
深瀬啓介さん(公式サイト)は場や人の情報やエネルギーを可視化できる能力をお持ちの方で、スピリチュアル・ドリーミング(SD)アートという、その人の「魂の輝き」「魂の風景」、聖霊次元とのつながりのありようを絵に描いてくださる個人セッションを行っています。
こちらが今回のセッションで描いていただいた絵です!
絵の上部に描きこまれたタイトルはラテン語で【ESPERIENZA VIVIDA】。
「ビビッドな体験」という意味です。

中央の女の子が私自身なのですが、頭の後ろにクジャクの羽根が広がっています。
深瀬さんは半自動書記状態でアートを描いていくのですが、最初の挨拶から軽い雑談に入っていきながら、一番初めに描きだしたのがこの部分でした。
最初見たときは、何かもやっとしたものを描かれているなぁとしか分からなかったのですが、出来上がりを見せていただいてそれが孔雀の尾羽だったと分かった時には納得するしかなかったです!

孔雀を自分の魂のシンボルと自覚しているとはセッション中にお話ししたのですが、その話に入る前から描き出してたと思います…
絵が描きはじまってるのを見てからセッションの録音をはじめ、それから話した事ですので。
絵のモチーフや色は深瀬さんが自分の意志で決めることはできず、意思を反映させようとしてもできないのだそう。
深瀬さんには「龍と孔雀」のサイト名が決まった経緯からこれまでの不思議な夢見の話、琵琶湖、弁財天、八幡神や高皇産霊神、磐長姫といった神様とのご縁の話などいろいろ聞いていただきました(自動書記中は、むしろ会話をしていた方が意識が飛ばなくて良いのだそうです)。
私しか知らないはずの「魂の聖地」が描かれていた
私が過去世やら夢日記やらいろいろ手を出してるのは、自分自身を表示するシンボルを知りたい・得たいという気持ちがあります。
これまで一通り「自分のシンボル」を理解したところで「魂の姿」を描いてもらったらどんな姿になるのだろう、という事で今回のセッションを申し込んだのですが、手渡されたSDを見て自分の理解は思い込みではなかった…!という感慨が湧きました…
SDに描かれたモチーフやシンボルを一番よく理解できるのは自分自身ですが、すぐにピンとくる方・来ない方様々だそう。
私の話を延々と聞いてくださった深瀬さんには「SDの解説聞いてるようでした」と言われましたw
なお絵の完成後にカードを引いて、アートの裏テーマという解釈のヒントを得ることもできます。
そして「魂の風景」とも説明されるSDですが、木と花々に囲まれて魚の泳ぐ泉を覗き込む少女という構図、実は時折空想する「自分だけの聖地」にイメージが一致してるのです。
絵を見た瞬間、クジャクの羽根に気づくよりも真っ先にそのイメージを思い出しました。
湧水を撮影するのが趣味とはお話ししたものの、イメージ上の聖地があるという事には全く触れておらず、特にレンガのような石で囲って地面より水面の方が高くなっているという細かい部分まで私のイメージと全く同じで驚愕しました…!
私の人生で一番古い記憶は「赤いレンガで囲われた水槽に泳ぐ赤い金魚を上から覗き込んでいる」というものです。



魂の風景に似ていたからこそ長く記憶に残っていたのかもしれませんし、ずっと水やその周囲の草花の写真を撮影するのが趣味で、夢にもよく水のイメージが登場するのもその影響でしょうか。
回転する二匹の魚は陰陽図

SDの意味は大体理解できてるようなのですが、泉(池?)に泳ぐ2匹の魚は少しわからない部分がありました。
まず私自身を表す女の子よりも存在感があると言えるくらい大きい!(深瀬さんも気になったそうです)
凹凸の目立つ鱗や、たてがみのようにたなびくヒレ、よく見ると目も金色で塗られています。(金色の目は神聖な視点、魚自体も神聖なエネルギーを表すそうです)
普段目にする魚とは一線を画した印象です。
その正体ですが、なんと深瀬さんのことを知るきっかけとなったブログ記事に答えがありました。

陰陽魚と言うのだそうです。
太極図や陰陽マークと呼ばれているものは、勾玉のような形が魚に似ていることから古来より陰陽魚と呼ばれていました。
中国では陰陽マークは太極図ではなく陰陽魚という呼び名のほうが通常だそうです。
陰陽魚は文字通り二匹の魚(鯉)になぞらえてデザインした図案も様々見受けられますが、記事で紹介されている絵は私のSDに描かれた魚と非常に似かよっていて驚きました;;;
泉の形を真上から見れたなら円形であろうそれと、そこで泳ぐ二匹の魚は、ますます陰陽魚そのものの構図になります。
深瀬さんも、二匹の魚は泉の中を回転している、水に映り込んでいるものが重要とおっしゃってました。
ここで魚の色合いが明るく、陽に傾いてると見えるのですが、これも調べてすぐに納得行く解説を見つけました!
二十四節気の区切りを陰陽魚の円外に配置して、季節ごとの寒暖(陰陽)のバランスを示す図があるのです。
私の誕生日は芒種(ぼうしゅ)の手前で、図で見るとほぼ陽のエネルギーで構成されている時期です。
陽の気が最大になる夏至に向かって僅かに残った陰の気が消えかかっていく、というイメージが魚の色と姿が一部隠れている描写に表れてるようです。
無面目の私=無極(全一性)?!
水面に映った私の顔が描かれていないのも重要な意味があるという事ですが、古代中国を舞台にした諸星大二郎先生のマンガ「無面目」を思い出しました。
世界のはじまりから存在する思索の神で顔のない存在である「混沌」が、ひょんなことから顔を得て人間界へ降りていき、人間そのものになっていくという物語です。
深瀬さんは「ガイドの授業 ―ドリーミングから全一性の目覚めへ―」という著書で、全一性という分離の概念のない世界(私たちの意識/魂が生まれる前の世界)を分かりやすく解説されてるのですが、ここで登場する霊(全一性)と霊から分離した魂(個)の関係が、顔を得る前の誰でもなかった「混沌」と顔(個)を得ることで悠久の存在でなくなった「混沌」の関係に似ていると思いました。
話は戻りますが、陰陽魚に無極(陰陽が生まれる前の状態で太極/混沌とも認識されます)を表す空円が付け加えられたシンボルも存在していました(円図/無極太極図)!
光の存在に見守られて泉のほとりに遊ぶ、幼子の優しい絵本のような世界観の絵と思いきや、同時に陰陽思想の深遠さも描写されていたとは…!
昨年12月に見た明晰夢(宇宙世の仲間が登場しました)を鑑定していただいた方に、私は壮大な宇宙意識とつながっている、と言われたのですが、その言葉に通じるイメージにも思いました…!

陰陽魚は鯉で描かれることが多いですが、孔雀が鳳凰の地上への投影なら、鯉も龍に変じるといわれる生き物です(鯉のぼりの風習はここに由来します)。
「龍と孔雀」というこのサイトでの発信活動、高次存在の導きであるということは間違いないようです。
Aya帆「(ご著書は)ノンデュアリティとか非二元をテーマにしたってことなんですよね」
深瀬さん「してないですね」
Aya帆「?!」
高山さん「学んでる人はそう受け取りますよww」
深瀬さん「僕自身が知らないんでw」
深瀬さん、お茶目なやりとりも随所でありました(^ ^)
また会いに行きます!